山仕事と、ちょっと介護生活

かみさんが要介護になっちゃって。サラリーマン辞めて、ちょっと介護しながら山仕事生活してます。

今日を考えた

3.11

震災があった日。

当時、仕事で外を車で走ってて。初めての激しい揺れだった。

テレビが見れるようになった時に津波の衝撃映像。気が狂いそうになった。

水が1週間以上来なくて。ご近所さんたちと、水がないので酒飲んで盛り上がった。

原発が爆発したとかで、外に出るなとか言われたけど、何がどうなってるのかよくわからない。

ケータイが繋がり、県外の友人達から数百件のメール。県外の人達が原発で騒いでるらしい。こっちじゃ大丈夫だとしか言われてないのに。訳が分からない。

そんなバタバタも、日が経つと、普通に過ごせと言われるようになるも、周りから普通じゃないぞと騒がれ。普通じゃないだろと思いつつ、普通に過ごそうとする自分たち。

訳が分からないままどんどん時間が過ぎ。子供たちはモルモットのように首輪をぶら下げさせられ。下の娘に「おすなあそびがしたいなー」って言われ。1年遅れで自主避難を決め。愛知に引っ越した。引っ越すときに、今まで山で食べた木の実を、子供らが嬉しそうに食べた木の実を、また食べたいという思いで、林業を学ぼうと決め、愛知で4年間山仕事を学んだ。

そして福島に帰って3年、福島の林業の会社に勤めた。

 

とまぁ、9年前から一気にいろんなことがありすぎて。言い切れないけど。

世の中に振り回され続けた9年間だったと思ってる。

 

よくわからないまま(詳しくは知らないけど)おそらくゴリ押しで原発を作られ。

東京で使う電気のために危険なものを押し付けられ。

挙句に事故が起こったら福島は危険だとか福島県人は近寄るなとか騒ぎ出した都会の奴ら。

 

地震だけなら、津波だけなら、世界に誇れる我慢強い東北人。復興にももっと勢い良く行けたと思う。津波だって歴史を見れば初めてじゃない。ばあさんとかに昔話で聞いたことある。

けど、放射能って、、、なんだよそれ。どうすりゃいいんだよ。わかんねぇよ。

 

とこんなモヤモヤを抱えて過ごした9年。

 

あの災害を忘れちゃいけない。

っていうけど。

でも。

いつまでも引きずってもいられない。

生きてるから。

日々、あがいてます。

 

今日だけは。

ちょっと今日だけは、ふと考えたけど。

考えてると前に進むことを考える時間が無くなる。

どうしていいかわかんねぇものをいくら考えてもわかんねぇものはわかんねぇ。

わかんねぇものを考えてるほどヒマじゃねぇ。

あっちもこっちも生きてりゃカネ払えと請求だけ来る。

ケツもふけねぇ紙切れを得るために動けと言われる。

生きることが大事じゃなくてカネを稼ぐことが大事だと言われてるようだ。

わけがわからねぇ。

けど、それに従わなければ子供らも可哀そうだし。

従うしかねぇ。

 

そこらじゅうの山がエコという意味不明な言葉のために真っ黒になっていく。

でもそこに行って仕事すると紙切れをもらえる。

行かざるを得ない。

 

人間って、何なんだ?

 

考えたって答えを出せない。

 

疲れた。

 

また明日も、紙切れもらいに行ってきます。

 

よくわかんねぇけど。

少しでも笑えるネタを探して。

楽しいって思えるネタを探して。

それを糧に。

 

また明日も、紙切れもらいに行ってきます。

またその次の日も、紙切れもらいに行ってきます。

 

がんばります。

 

 

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