山仕事と、ちょっと介護生活

かみさんが要介護になっちゃって。サラリーマン辞めて、ちょっと介護しながら山仕事生活してます。

かみさんが倒れてからをまとめてみるその1

このブログを始めたのが4月から。

かみさんが退院して、会社辞めた時から。

その辺のいきさつはコチラをどぞ(´∀`)

momotarohime.hatenablog.com

なんせ、ブログ村の、夫による妻の介護カテゴリーの1位ですから(´∀`)

(いやホント、ほかのブログ見に行ったら、ウチみたいな映画観て( 0w0)ノ ウェーイみたいなんじゃなくてもっとガチな人ばっかで、申し訳ない)

なので、ちょっとその、こうなった経緯っつうのかな。まとめてみようかなと。ちょっと介護ブログの雰囲気を醸し出したい、いや搾り出したいなと(´∀`)

 

2018年。9月末。仕事中に、突然小学校から電話。しかも土曜日。

かみさんが倒れて、救急車で搬送中だと。

いやこの電話の10分前に、かみさんとLINEでやりとりしてるんだが。

寝坊したー小学校のバザー行って働いてくるーそすかーいってらーみたいな。

そのホント10分後くらいよ。倒れたっつったってどうせ貧血かそんなもんだろって思って現場の仲間に話して現場抜けて学校行って。行ったら既に救急車が出た後で、ソッコー追っかけ。着いたらそこの病院、どこが悪いか分かんねぇから違うとこ行けと。おそらくのーみそだぞと。っつって、違う病院へ。付き添ってる下の娘、目がうつろ。だわな。んで、次の病院に向かう途中。信号を救急車と一緒にシカトしたら。信号抜けたところで救急車に怒られる俺(´∀`)んで、なんとか次の病院着いて。検査を待ってる間に昼近かったんで、娘になんか食わせようとするも、食えないって。それでも売店連れてって、チョコでも買ってやろうとしたら、店員さんが20年来の知り合いのおばちゃん。いやーかみさん倒れてさーなんて軽く話してて。そん時状況分かってないから。そしてその病院まで付き添ってくれた、学校の看護の先生。娘が学校で一番大好きな先生にジュースごちして。もうマジで命の恩人。倒れた時たまたま数メートル後ろにいて。倒れた直後から付き添ってくれてたって。マジ感謝。こういうゴチもあんまり良くない感じだったが、脅して受け取らせた(´∀`)

で。検査結果。左の脳に血が全く行ってません。今すぐ手術しないとですが、この病院では処置できません。脳梗塞です。ってその時言われたが、脳梗塞ってなんだ?てのがホンネ。ただ、通常4時間で死に至る可能性がかなり高いそうで、すでに3時間経過。一刻を争うとかなんとかもうここから数時間は大パニック。なんだか分からん書類にいっぱいサインして医大にGO。緊急手術が始まった。

ここでひと段落。することなくなった。

ここでやっと、状況を把握。やっと軽くビビった。がしかし。ビビった所は一切娘に見せられねぇし、やることたくさんあるんじゃね?って思い。まず親に連絡。その後、県外の大学に行ってる上の娘、家でボーっとしてた息子、かみさんの職場、俺の職場、かみさんの数少ない親友一人、に電話した。

親は俺に落ち着けという。無理っしょ(´∀`)

上の娘は大パニックで大学の授業受けてられず。ま、医療系の大学だけに、その辺はまぁ任せたって感じだったが、俺の親と合流してこっちに来ることに。大学の先生の言葉。「しっかり勉強してこい」

数時間後、手術は無事終わり。終わったくらいに、両方の親到着。状況を説明。医者の言葉、手術は成功、数週間は集中治療する予定で、1か月後に目を開いたら御の字ですね、って。

生きてて良かった(´∀`)

生きてりゃ丸儲けよ(´∀`)

ところが、管まみれのお母さんを見れない下の娘。お母さんを見ると泣きじゃくって立っていられない。だわな。これからそっちのメンタルケアも必要だわな。なんつー話をしながら、ほか弁買って、ピザ買って、みんなで家に帰りました。

そして俺。ぶっちゃけ何がどうなって今後どうするかとか、想像もできなければ考えもできない。わけわかんねーんだが、今は流れに乗っかろう的な感覚しか持てなかったなぁ。

 

あ。

 

倒れた初日だけでソコソコ長くなってしまった。

だって。一番インパクトあるんだもん。

ちょっとコレ、続編行きます♪

 

 

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